1. 三本の木 お証し

 

皆様には夢がおありでしょうか?私には子供の頃から大きな夢がありました。

 

それは「立派な人になること」でした。立派な人になれば両親に愛される、もっと言うなら立派にならなければ愛されない、そう思いこんでいたからなのです。

 

私には兄がいますが、わけあって両親はその兄に対し、期待を持つことができず、私は二人分の期待を背負って生きてきました。

 

そしてお勉強も素行も、ありとあらゆることを一生懸命して、立派な人を目指しました。結果は、立派どころか道端の石ころのような者になりました。

 

でも、神様を信じ、神様の愛に触れられ、私は大きく変えられました。立派な人には今もなれていませんが、人生の秋を迎え神様によって歌手にしていただき、たくさんの歌が与えられ、できないことは何一つない世界一立派なお方である 神様の愛をお伝えさせていただく使命をいただき、そのことは私の生きる意味、 目的となったのです。

 

この三本の木はイギリスの民話で、本を読んだ時に思わされることがあって、この歌ができました。昔、心を持ち神様を信じる三本の木が森の奥にいて、自分の夢が叶うようにと祈り続けていました。

ところが夢は砕け散り、あろうことか三本とも切り倒されてしまうのです。

 

私自身もそうであったように、多くの人は自分の想いとは違う人生が待っています。けれど、神様を信じたこの三本の木も私も、自分の想い、願いを超えた一番ふさわしいこと「最善」を神様から受け取り、夢満たされたこと知ったのです。

 

この奇跡のお話しは、あなたにも訪れる奇跡なのです。

 

 

2.クリスマスが近づくと

 

クリスマスってどうしてこんなに世界中の人がワクワクと心躍らせこの日を迎えるのでしょうか?子供の頃の私にとってクリスマスはその日だけのお祭りでした。そんな風に思うのは生い立ちが関係しています。

 

私はとても恵まれた家庭で育ちました。ほしい物を聞かれても思いつかない程でしたし、そんな私は外から見たら絵に描いたような幸せな女の子であったことでしょう。でも、私の心はいつも飢え乾いていました。身心の弱かった私が両親の期待に応え、立派な人を目指すことは、とても苦しく辛いことで、いつも気持ちが張り詰めていて、自分が自分でいられるのは一人になった時だけでした。

 

歌の中に「マッチ売りの少女さえうらやましく思えた」という歌詞があります。当時の私は眠るように天国に行ける少女がうらやましかったのです。どんなに恵まれていても人は口から食べるパンだけでは生きてはいけないのです。

 

この歌はそうした暗闇の中を生きていた頃の私と、神様の愛を知って光に照らされ生きることができるようになった私のビフォアアフターの歌です。

 

クリスマスの本当の意味を知った今、クリスマスは私にとって「その日だけのお祭り、むなしい日」ではなく「ベストな日」となりました。

 

クリスマスは唯一無二の真実の愛であられるイエス様がお生まれになったことをお祝する日であり、クリスマスが近づくと人がワクワクと胸躍らせるのは、「真実の愛」がそこにあるから、そして人は誰もがこの真実の愛に満たされたい、そう思っているからなのです。

 

 

 

3.祈り

 

私はイエス様を信じていますから、よく祈ります。でも振り返ってみて、神様を信じる前から祈っていたことを思いだします。そしてこれは私一人だけのことではないようです。

 

何か困った時、お願い事がある時、つい祈ってしまう。神様を信じていないのに、お祈りする・・・どういうことなのでしょうか?理屈ではなく祈らずにいられないからではないでしょうか?

 

お話が飛びますが、昔有名歌手の方が特攻隊を慰問された時のお話し。明日のフライトが人生最後のものになると知っているまだ10代の若者達、その方々の為に歌って差し上げたそうです。

 

かけて差し上げられる言葉もなく、ただただ彼らの心の平安を願い歌ったそうです。帰り際に上官の兵士の方が、彼女に「今日はありがとう。どんなに彼らが慰められたことか。彼ら(特攻隊)は最後の瞬間叫ぶ言葉が2つあるんです。1つは「お母さん」そしてもう1つは「神様」なんですよ。」        そう言ったそうです。

 

このお話しを聞いて、亡くなった母の存在を思いました。今でも母を思います。そして神様と叫んでしまう状況・・・人は人間にはどうすることもできないことがあることを知っていて、その瞬間自然に人ではない崇高なものに助けを求めてしまうのではないでしょうか?

 

祈りとは人にとって身近なものであると感じています。

 

神様の愛を知る前に祈っていた時と今との違い、それは人知を超えたお方の存在と、祈りが聞かれることを知ったことなのです。   

 

一大事の時、恐れや不安、消えてなくなることはありませんが、祈りが聞かれることを信じ、祈れることを幸いと感じていますし、このことを被災された方々にお伝えしたい、そう祈っていた時に、この歌が与えられたのです。

 

 

 

4. Who am I

 

Who am I? 日本語で訳すと私は誰ですか?

 

こんな質問をする人はまずいないでしょう。でも自分が誰なのかわからなくなってしまった人はけっこうたくさんおられます。私もその一人でした。

 

両親の期待にこたえたかった私は、自分がこうあるべき、こうでなくてはいけない、       この思いが強すぎて、とうとう心を病んでしまいます。

 

自分が作りあげる理想の自分と本来の自分があまりに違っていたからなのです。

 

「期待に応えることのできる者になれない」=「良い者でなければ淘汰される」このように常に恐れを感じて生きていました。

 

雪の積もるお庭で一人遊んでいて眠ってしまい、あの時誰にも気づかれずにいたらこんなに苦しまなくて済んだのに・・・雪が降るといつもあの日のことを思い出しました。

 

そしてコートの上にパラパラっと降った雪の結晶が見えたのです。一つ一つ全部違う形、キラキラしていました。あの時は「わあ、なんてきれいなの」そう思っただけでしたが、その一つ一つ違う結晶は私達一人一人だったことに気づかされました。

 

時が経ち、「私はここにいるよ」「こちらに来なさい」私はこの言葉にすがり、優れていなくても、ありのまま生きていける「神の子」としていただき、私は誰ですかと聞くことはもうなくなったのです。

 

 

 

5. こんにちは

 

いろんなところでコンサートをさせていただいておりますが、いつもオープニング、1曲目に何を歌わせていただいたものか悩みます。

 

私は福音シンガーですが、ストレートに福音をお伝えすることを許されない場所もありますし、幼稚園や高齢者福祉施設、障害者福祉施設、いろんな年齢のいろんな環境でコンサートさせていただきますので、その都度選ぶことが大変でした。

 

時には先様がおっしゃる歌が気持ちの進まないものもあったり、著作権のあるものや、自身のビジョンに合わないものもあったり・・・

 

ならばどこででも歌える歌を与えて下さい!そう祈り始めました。そしてすぐにこの歌が出来上がりました。

 

人と人との出会いは偶然ではありません。私はどんな時にもこのこと(出会わせていただけたこと)に感謝していたいのです。そしてその感謝の思いを、皆様にもお伝えしたいのです。

 


6thアルバム「命の限り」について

 

 

1.命の限り

 

静かなポップスバラードメロディーの上に「パパ 覚えている?」という甘美な言葉が乗って始まりますが、後半になると曲調がダイナミックなピアニスティックなものへと変わっていきます。演奏難易度が高く苦労しましたが『真珠を転がしたような』『ブリリアント』な響きを目指し心を込めて演奏しました。「神に創られた私達人間が神からいただいた愛を受け継いで行く」という壮大なテーマの歌でございます。

 

 

2.悲しみの向こうに

 

ポップス系の曲調で始まり、転調を繰り返し、途中幻想的な音へと変化し、クライマックスはコーラスを加え、楽器の王様と言われているピアノ音によるオーケストラのような再現を目指し演奏しました。自身の証しとして「悲しみの向こうにある光と希望を見た」という言葉の通り波乱万丈の人生から、全き平安に変えられたことが表現されています。

 

 

3.My Savior(私の救い主)

 

目を閉じると光景が浮かんでくるような臨場感のあるプロの作曲家によるデジタルオーケストラアレンジの伴奏に乗せて歌っています。愛を知らずに生きる虚しさ、それでも懸命に生きようと切磋琢磨をして努力するも、やがて限界が訪れ失望の波にのまれそうになります。その時初めて救い主の存在に気付くのです。そしてそれは希望溢れる真のゴールへの旅立ちだったのです。

 

 

4.いてくれてありがとう

 

どこか馴染みのあるようなメロディーのポップス調で始まりますが、途中繊細なピアノ間奏部を経て、クライマックスはピアノ演奏で表現するhomophonyを目指しいくつもの楽器の音をイメージしてアレンジ&演奏をいたしました。「いてくれてありがとう」とは難しい言葉ではありませんが、実は奥深いもので人に喜びと平安を与える言葉なのです。それを歌と演奏で表現してみました。

 

 

5.See you again

 

私達には必ずこの世を去る日がやってきます。私の大切なお友達も病気でこの世を去りましたが、天を見上げ希望の種を蒔き続けていれば、再会の日"See you again"は必ずやってくるのです。コーラスアレンジを加え、ピアノならではの繊細な動きと音色で、天国での再会の希望を表現しました。

 

 

Bonus track

6.朧月夜

 

静かな中にも、ジャズの香の音も入れてみたり、異なる要素を知保子ワールドでブレンドしたり、クラシック発声で歌いました。コーヒーにおまんじゅう?緑茶にケーキ?不思議な世界をご堪能下さい。

 

 

7.昔懐かしいメドレー

 

「思い出のアルバム~どんぐりコロコロ~シャボン玉~どこかで春が」全部で4曲のメドレーです。華やかな前奏から始まる「思い出のアルバム」~可愛らしい「どんぐりコロコロ」~命のはかなさと天国に思いを寄せた「シャボン玉」~思わず口ずさんでしまう「どこかで春が」ピアノアレンジは昔懐かしい歌のイメージを大切に、優しく柔らかく仕上げ、朧月夜同様にクラシック発声で歌ってみました。